幻立喰・ソ

第62回「そばのスエヒロのそばのスエヒロそば」

 
 ネオン輝く敷居の高い大人の街、銀座。戸越銀座じゃありません。個人的には戸越銀座の方が好きですが。もしも銀座の地価が急落して、戸越銀座の方が高くなって、銀座が銀座戸越になる日が来たら、日本はどうなるんでしょう。といういらぬ心配をよそに、金座も銀座もあるようです。金がナンバー1のはずですが、有名度は比較するまでもありません。「2番じゃダメなんですか?!」のあの人はどう思っているのか、聞いてみたいとも思いません。

 銀座と立喰・ソは縁がなさそうですが、場所柄か梨園の方もいらっしゃるらしいK舞伎そばや、多彩なメニューのYもだそば、度肝を抜くステーキそばのTうそばなど個性派店が盛業中です。かつてはWINSオヤジに愛されまくったみちのくもありましたが、今では300円が7億円(正確には5億円)になる紙を売る店になってしまいました。そう言えば、宝くじ1等当選番号は1つなのに、1等が数十本もあるというのはどういうことでしょうか? さらに当選番号が100000や999999だったら前後賞はどうなるんでしょう。考えると春日三球照代師匠状態になりますが、考えても当たるわけがないので考えないことにします。

 そんな銀座(とは言ってもはずれの1丁目)に今回ご紹介させていただくスエヒロがありました。早朝はトラック、タクシーの運転手さん、ガテン系のお兄さん、昼時は近隣のサラリーマンにと広く愛された、ザ・昭和な立喰・ソでした。ややこしいことに、近所にもう一軒同名店があります。正確には近所といえるかどうかな微妙な距離ですが、歩いて行ける距離です。
 歩いて行ける距離?「昔の人はどこまでも歩いて行ったのだから、物理的に行けない状態以外は、歩いて行ける距離になりますが」と鋭い指摘されます。ならば、常識の範囲内で歩いて行ける距離。としますと、「1697kmもある東海自然歩道を歩くのは非常識ということですか」とお叱りを受けそうです。なので、ひと駅分に満たない位の距離で。というと「ひと駅と言いましても、我が国の場合、最短の84mから最長74.8kmまで千差万別あります」と手痛い指導を受けそうなので、おおむね徒歩5分くらいの圏内、というと「ミゲル・アンヘル・ロペスと棺桶に両脚を突っ込みかけたおじいちゃんの徒歩5分はどえらい差があります」と……ここらでネタも尽きましたので、このへんで。距離にして約300mほど(最初から距離で言いなさいと、また叱られます)離れています。

 
 このうち一方が2015年8月28日をもって、まことに残念ながら幻立喰・ソになってしまったのです。同名店ですから単にスエヒロでは健在な方が幻立喰・ソになったのかと大変な齟齬を生じてしまいます。看板には幻立喰・ソになってしまった銀座一丁目の方は「スエヒロそば」、健在な八丁堀は「そばのスエヒロ」と表記されていますが、いちいち書くのも面倒だしよけいわかりにくくなりそうなので、当駄コラムの現役店はイニシャルまたは伏せ字にするローカルルールに従って、幻立喰・ソになってしまった方をスエヒロ、現役の方はス○ヒロと表現して、万事解決ということで(場当たり的対処法)。

 気になる両店の関係ですが、味も雰囲気も似ているし、そもそも同名ですから大いに関係ありそうです。お店の方に訪ねれば教えてくれそうなものです。しかし悲しいかな、私は一介の客に過ぎません(お店によっては一回の客でしかない場合も多々ありますし)。ゆえにお忙しいのに仕事の手を止めてまで答えてもらうのもはばかられます。さらに場所が銀座ということもあって「野暮なことは聞いちゃいけねえぜ、粋じゃねえんだよ、べらんめえ」ということで、知りたいのですが、知りません。世の中まだまだ知らないことだらけ。だから人生は楽しいのです(と、相変わらずいつもの逃げ口上でごまかす)。


スエヒロそば

そばのスエヒロ
銀座一丁目は「スエヒロそば」。(2015年8月撮影) 八丁堀は「そばのスエヒロ」。(2013年1月撮影)

 さて、そのスエヒロ、5〜6人も入れば混雑率100%の満員御礼になる小さな立喰・ソで、削ったらダシがとれそうな、おつゆのたっぷりしみこんだ年季の入ったカウンターと、その両側に業務用冷蔵庫を小テーブルに見立てた構成で、椅子なんてものはありません。満員時はどんぶりを抱えて、表のガードレールに腰掛けて食べてるのも当たり前でした。
 気さくなおやっさんと、寡黙に見えるけど実はそんなことはないおやっさんの2人組で、晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も和やかに、にぎやかに営んでおりました(私は見たことがないのですが、おばさんもいたという情報も)。一見さんでも「おっ、いらっしゃい!」と常連のごとく温かく迎え入れてくれて、帰りは「気をつけて、行ってらっしゃい!」と気持ちよく送り出してくれました。気になるおやっさん2人の関係は? 「べらんめい! こちとら〜(以下前同)」ということで不明です。

 あふれるやさしさと笑顔、むせかえるような昭和テイストの店内、それだけでうまさ100倍増です。時折諸兄諸姉のブログなどを拝見しておりますと、立喰・ソに対する評価で「けしてうまくはないんだが」とか「味はそれなりだが」とか「身体にはよくなさそうだが」が枕詞になっているのを見かけます。そうかもしれませんが、安い値段で、重労働で、しかも高齢化が進みながらも、日夜がんばる立喰・ソ労働者兼経営者の心中を察するに……味を求めるならば、1本800円の水を出すリストランテで舌鼓をうちまくれ、といらぬことを思いつつ、あ、いや、まあ、考え方、捉え方は人それぞれですね。すみませんです。スエヒロ消失で我を失っておりました。我がないのは、いつものことですが。
 しかし、無愛想ならうまさ100倍減なのかと言われると、-100どころか魔太郎状態で呪文を唱えたくなります。ゆえに、いろいろ作法がめんどくさそうなラーメン屋さんに行列する人は、味の探求者だなあ、すごいなあと素直に思います。と、その前に誤解を招かないように申し上げますが、スエヒロは、「けしてうまくはないんだが」でも「味はそれなりだが」ではありません。「身体にはよくなさそうだが」は、ちょっとそうかもしれませんが。スエヒロで「まずい!」という人に未だ出会ったことがありません(まあ、そういう人は来ることもないでしょうけれど)。


店内

唐辛子
何を食べたらいいのか迷ってしまうステキなお品書きと天ぷら郡。迷いに迷って、結局いんげん天に落ち着くのです。(2015年8月撮影) 輪切り唐辛子は入れ放題。とはいえ、見た目ほど辛くは……まともに食べると辛いです。これがいいアクセントになるのです。(2015年8月撮影)

店内

店内
業務用冷蔵庫もテーブル代わり。右手の冷蔵庫はほどよい高さですが、反対側は腰くらいの位置なので低いです。(2015年8月撮影)

 見た目は純正関東型の真っ黒おつゆですが、しょうゆ辛いだけのいわゆるしょうゆのお湯割りではありません。きちんとダシの利いたやさしい味で、すんなり飲み干してしまいます(だから、特に年寄りになると身体には……)。麵は立喰・ソでおなじみあの大メーカーのゆで麺でやや太めでした。
 常連の心を捉えるのが、種類豊富で大きく安く食べ応えばつぐんな天ぷら郡です。一番人気のゲソ天は、ぶりっとしたゲソをふわさくのコロモで包んだフリッターのような感じといえばいいのでしょうか。天ぷら郡はオール100円ですが、ゲソ天のみ130円という価格がフラッグシップであることを主張していました。最高級品のゲソ天ですが、5人中5人が注文していました(ある日の実測)。私は他ではあまり見かけない、インゲン天が推しメン(若人言葉を使ってみたかったんです)でした。ぶりっと太いりっぱなインゲンを束ねて薄めのコロモでサクッと揚げてありました。ぼりんぼりんとなんともいえない歯ごたえと、元気な野菜の味(ちょっと食レポ風な言い回ししてみたかったんです)がたまりませんでした。懐に余裕がある時はゲソ天も追加し、さらに気が大きくなったときにはカレーそばにトッピングのパーリーピーポー状態(意味はよく分かりませんが、たぶんこんな感じでしょう。言ってみたかっただけです)。このカレーがまた妙においしいんです。うちのカレーや高級店のカレーではなく、究極の業務用カレーとでもいいましょうか。炊飯器で保温されて、寡黙(に見える)なおやっさんが華麗なる(カレーだけにね)ハンドリングでどんぶりに注ぎ込む姿は、硬いワインを開かせる熟達したソムリエのデキャンタのようでした(はい、ご想像のとおり、もちろんソムリエもデキャンタも見たことないです)。しかも、ネギはどばっばっと豪快な大盛り、おやっさんと織りなすマリアージュ(……)が、すなわちスエヒロだったのです。書いているだけでよだれが止まりません。誤解しないでください。よだれが出るようなすばらしい文章力だと自画自賛しているのではなく、ただあの味、あの雰囲気、あの笑顔を思い出してよだれだらだら出しているだけです。よだれが出ない貴方には魔法の言葉を贈ります「うめぼし!」。

 
 よだれまみれで、はたと思い返せば、あれだけ豊富な天ぷらラインアップなのに、結局ゲソ、いんげん、ソーセージ天とカレーくらいしか食べたことがありませんでした。もっといろいろな天ぷら食べればよかったと、いつものように大後悔時代を過ごすのです。


そば

そば
カレーそば。インゲン天+ソーセージ天プラスの豪華仕様。あああ、どんぶりの底までなめまわしたい。(2014年10月撮影) いんげん天+ゲソ天そば。ああああああああああああああ、もういちど、いやあと100回くらい食べたい。(2015年8月撮影)

店内

貼り紙
お願いして厨房も撮らせていただきました。最終日もいつものように天ぷらが揚げられていきました。奥にちょこっと見える炊飯ジャーの中には至宝のカレーがスタンバイ。(2015年8月撮影) なんの準備もなくこの貼り紙が目に入った時の衝撃と破壊力はたまりません。あわてておやっさんに訪ねたら「テナント契約の更新の関係なんです」とのことでした。他での再開もないようです。残念。(2015年8月撮影)

 おやっさん、ごちそうさまでした。ありがとうございました。お気に入りがまた幻立喰・ソになってしまいました。今年だけですでに、神田そば、山田製麺所に続き3軒目。もうやめてほしいです。いや、やめないでほしいです。

 最後は、幻立喰・ソNEWSに変わりまして、毎朝スエ○ロ八丁堀店へ出撃するAB君の通りすがりの報告で締めましょう。50%くらいマシマシかもしれませんが、貴重な報告ありがとうぎざいました。

●立喰・ソNEWS 2015

スエヒロ最終日とその後の記録。

●2015年8月28日
さて、今般のスエヒロ銀座一丁目8月28日ラストラン。時刻は6時15分ぐらいです。晩夏の霧雨が降っていましたが、いつもと変わらない金曜日でした。

この時間帯はご存知のように、ガテン系、上がり前のタクシー・ハイヤー、早出のサラリーマンが混成して、ある意味もっとも立ち食いそば店内の活性化する時間のひとつと思います。常連の方々、たまたまこれからの仕事で通った方々、今日で終わりの事情を知るも知らぬも、みな、朝の一杯をたぐりすすっていました。毎朝の光景として、京橋入路を目指して回り込んできた君津行バスの運転手さんが、いつもちらっと店のほうへ視線を向ける。その、やや羨望にも思えるまなざしがこのお店の印象でした。銀座の華やぎから離れた、同じ銀座の片隅に、営々生き残ってきた立ち食いの名店。黄色いスエヒロの双璧の一角の灯りが消えることに、今夏の秋風を感じています。朝のオジサンの「いってらっしゃいまし~~お気をつけて!」この言葉を、これから人を送る時の常套として使っていこうと思いました。

●2015年08月29日
今朝6時15分の、スエヒロ銀座一丁目です。車内から連れ合いが撮りました。オジサンふたりが、せっせと店内を掃除、片付けてました。今日の状態に、驚いた人たちが、慌てて八丁堀店になだれこんできて、店内はすしづめになりました。しばらく、これが続くのでしょうかね。

●2015年08月31日
予想通り、スケルトンになってました。時刻は午前6時過ぎ、食べにきたらしいガテン系の方が、肩を落として去る姿が印象的でした。

●2015年090月1日
今朝は貼り紙もなくなっていました。すぐに、斫る(はつる)んでしょうか。



8月28日
2015年8月28日朝。最終日の朝は喧噪もなくいつもの金曜日のようでした。ガードレールに腰掛ける人も今日で見納め。


8月29日
2015年8月29日朝。開店の準備中かと錯覚してしまう光景です。


8月31日
2015年8月31日朝。あれ? 開いてない。今日は臨時休業? 閉店のお知らせを見て愕然という常連さんも。

じつは、銀座一丁目店で、たびたび見かけた老人が気になってました。かなりの高齢ですが半ズボンにスニーカーのコジャレたいでたち、どことなく品があり、銀座の住人の印象で、所謂、旦那衆といった雰囲気ですかね。店の右側の細い路地に入り、いつも店の箱にこしかけて食べていました。あの人がビルのオーナーなのかなと連れ合いとも話してました。老人は、息子に家督をゆずり、楽隠居の身分になりましたが、受け継いだ息子は立ち食い蕎麦の店子など前々から嫌でしょうがなく、この8月末の更新時をもって契約終了とした。閉店を聞いた時から、こんな、想像をしていました。



9月1日
2015年9月1日午後。中はきれいにかたずけられ、閉店の貼り紙もすでになく……さようなら、ありがとう、ごちそうさまでした。

バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在800店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べるだけで、たいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


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